長崎くんちは、380年もの歴史を誇る諏訪神社の秋の大祭です。
昭和54年には、国の重要無形民俗文化財に指定されました。
しかし長崎くんちが現在のようになるまでには、多くの出来事を乗り越え歴史を刻んできました。
今回は、長崎くんちの由来や歴史、そして龍踊りの秘密についてご紹介します。
長崎くんちの主役!?あの!巨大な龍の作り方って?
長崎くんちで奉納される踊りの中でも有名な龍踊り。
巨大な龍が勇壮に動き回る様子は、とてもカッコいいですよね!まさに奉納踊りの代表格と言えます。
龍踊りは、数千年前の中国での雨乞い儀式が起源とされています。
龍が追いかける玉は太陽や月を表し、龍が玉を飲み込むと雨が降ると言い伝えられてきました。
その後、お祭りやお祝いで披露されるようになったそうです。
巧みな動きをするあの巨大な龍はどうやって作られるのでしょうか。
龍の作り方について調べました。
龍の枠組みには、竹を丸めたものを使います。
枠組みができたら上から布をかぶせ、竹ひごに和紙をのりづけして布にとりつけていきます。
枠組みに使われる竹には強度があります。
強度のある素材を使うことで、龍踊りの大きな動きにも耐えられるのですね。
また、龍の重さは120kg、長さ20mあります。
体には10本の棒がついており、各使い手は玉使い1名、頭持ちから尾持ちまでが10名の計11名と囃子手などが30~50名います。
使い手・交代要員・総指揮まで合わせると約80名で構成される大所帯です。
それぞれの役割は、
玉使い・・龍が追う玉を動かす担当者
龍衆(じゃしゅう)・・頭部分の担当者
囃子方(はやしがた)・・長ラッパや大太鼓などの楽器担当者
と呼び名がつけられています。
龍踊りと言っても、踊り町によって演出や龍の種類が違うんですよ!
長崎くんちでは、毎年違う龍踊りが楽しめるのも魅力のひとつですね。
盛り上がる!長崎くんち☆奉納踊りの由来を知ってもっと楽しもう
長崎くんちの奉納踊りの起源は、江戸時代(寛永11年・1634年)にさかのぼります。
旧暦の9月7日、2人の遊女が諏訪神社の神前にて謡曲「小舞」を踊って奉納したことが始まりといわれてます。
その後明治時代には諏訪神社の神事改革により、華美なな装飾が禁止されたため奉納踊りも一時全廃されました。
その後質素な踊りに変わりましたが、日露戦争により再び全面中止になります。
1945年8月9日、長崎に原爆が投下された59日後に長崎くんちは開催されました。
その後も長い年月をかけながら現在の奉納踊りになったのです。
戦争や世界情勢の変化にも負けず長崎くんちは人々によって伝統が引き継がれてきました。
次に、奉納踊りで使われる用語の由来・意味も見ていきましょう。
・出し物
それぞれの踊り町が工夫を凝らした演し物を神前に奉納することを総称して「奉納踊り」と呼びます。
奉納踊りは「本踊り」、「曳物(ひきもの)」「担ぎ物」「通り物」の4つに分類されます。
奉納踊りの後には市内の事業所や官公庁、各町へ経緯を表して踊る「庭先回り」が行われます福をお裾分けしお祝いする意味を持っています。
・掛け声
観客が掛けるかけ声にはくんち独特の約束があります。
「モッテコーイ」は一度退場した曳き物などを呼び戻す掛け声で、アンコールの意味を持ちます。
まとめ
いかがでしたか。
江戸時代から続く長崎くんちは、その時代に生きる長崎人から後世へと引き継がれてきた伝統ある行事です。
奉納踊りそれぞれに意味があり、踊り町は魂を受け継いで踊っています。
くんちの歴史や由来を知り、今年の長崎くんちがますます楽しみになってきました!
みなさんもぜひ、歴史と伝統が引き継がれた長崎でくんちを会場見てみませんか。