秋分の日というのをご存知でしょうか?
何気なく聞いたことは、あると思いますが、元々の由来や、どんな行事か知っている人は少ないんじゃないかと思います。
今回は、そんな「秋分の日」についてその由来やどんな行事か、お伝えしたいと思います。
秋分の日の由来は何か?分かりやすく解説!
「秋分」は、「しゅうぶん」と読み、「秋分の日」は、「祝日」というのを知っている人は、多いんじゃないでしょうか?
また、秋分の日は、昼と夜の長さが一緒とよく言われますが、それはどういう意味があるのでしょうか?
「秋分の日」は、1948年に公布・施行された「国民の祝日に関する法律(祝日法)」によって制定されたもので、その意味は、「先祖を敬い、亡くなった方を偲ぶ」日とされています。
また、秋分の日を中日として前後3日間(合計7日間)を、「秋彼岸」と言い、墓参りや法会(ほうえ)と呼ばれる先祖供養を行います。
また、秋といえば、田畑に蒔いた種が実りをつける時期でもあるため、収穫への感謝や五穀豊穣の願いを秋分の日に行ているところもあるそうです。
秋分の日は、国民の祝日や彼岸ということだけではなく、昼と夜の長さが同じという日でもあります。
この昼と夜の長さが同じということが、お彼岸に結びついています。
昼と夜の長さが同じということは、太陽が真東からのぼって、真西に沈むことになります。
仏教の世界では、太陽が昇る東が、私たちがいる世界と考え、太陽が沈む西を亡くなった故人の世界と考えています。
西方浄土といって、西には極楽があると言われているのです。
わかりやすくいうと、故人の人への思いが一番通じやすくなる日が、秋分の日とされ、真西に太陽が沈む秋分の日は、仏様に祈りを捧げるのに最適な日とされたようです。
続いて、秋分の日や春分の日の頃の彼岸に食べる、「おはぎ」についてお伝えします。
秋分の日と同様に、お彼岸の時期として、「春分の日」があります。
どちらも、祝日を中日として前後3日間の合計7日間となっております。
どちらの日にも、「おはぎ」食べますが、正確には春の彼岸と秋の彼岸で、「おはぎ」の呼び方が違います。
春のお彼岸 ⇒ ぼたもち
秋のお彼岸 ⇒ おはぎ
これが、正式な呼び名で、ほとんど同じ食べ物ですが、呼び名だけではなく、他にも違いがあります。
それは、おはぎの「あんこ」の違いです。
江戸時代のことです。
あんこの材料となる「小豆」ですが、元は漢方薬として中国で使われていて、日本に入ってきました。
日本人は、この小豆を健康食材として色々な食べ方で食べていたそうです。
小豆の種を蒔く時期は、4~6月になり、収穫が9~11月となります。
秋のお彼岸は9月ですよね。
収穫したての小豆を使いおはぎを作ります。
新鮮な小豆ですから、皮も柔らかいので、「粒あん」として食べ、春のお彼岸まで保存していた小豆は、皮も固くなるので皮を取り、「こしあん」としていました。
おはぎやぼた餅が、なぜお彼岸に食べられるようになったのかというと、これも江戸時代までさかのぼります。
江戸時代の初期は特に、砂糖が超高級品でした。
そのうち、九州や四国などで、「黒糖や「和三盆」の生産も多くなり、江戸時代後期には、普段から食べられるようになりますが、お彼岸のお供えでおはぎを使った当初は、普段は口にできないような贅沢なお菓子でした。
そんな贅沢なお菓子の「おはぎ」は、大事な日や大きな節目や大切な人へ振る舞う時の食べ物とされました。
また、小豆の赤い色には、魔除けの効果があると信じられていて、邪気を払う食べ物として先祖様への供養に使われていたといわれます。
大切なお彼岸に、魔除け効果のある小豆に高級な砂糖を使い、あんこにしてお餅につて、ご先祖様にお供えして邪気払いや願いを祈っていました。
秋分の日はどのように決めるのか?豆知識をご紹介!
秋分の日は、毎年9月23日ころとなりますが、正確には、毎年同じ日にちではありません。
9月22日の年もあれば、9月24日になる年もあります。
秋分の日は、国立天文台が作成している「暦象年表」に基づいて翌年の秋分の日が、内閣で閣議決定され、その日付が載った「暦要綱」が毎年2月の第一平日に発行される官報に公表されることで、正式決定となります。
何か、とっても難しいようですが、秋分の日はとても複雑な計算式を使って求められています。
秋分の日がなぜ、毎年同じではないかというと、一言でいうと、「うるう年」と同じような原理が働いています。
つまり、1年は、きっちり365日ではないということが原因です。
インターネットなどでは、細かい計算式なども載っていますので、参考にしてみては、いかがでしょうか?
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